Santiago de Cubaが世界に誇るパーカッション工房

Harlem Campos Interview

私たちを魅了するCuba音楽。そこになくてはならない楽器、

クラベス・マラカス・ギロ・シェケレ…。

これらは日本では「小物」、スペイン語ではパーカッション・メノールと呼ばれていますが、曲全体のグルーヴを決める重要な役割を担う楽器です。
Cubaの首都ハバナより約900km東にある

サンティアゴ・デ・クーバという街に、Cubaのトップミュージシャンがこぞって使うパーカッション・メノールを作る職人がいます。彼の名はHarlem Campos(アーレム・カンポス)。
GRACIASは2009年、Santiago de Cubaの音楽 ”Son” の日本のパイオニアであるアーティスト佐々木誠氏よりアーレム氏をご紹介いただき、10年以上の交流を重ねて来ました。昨年、アーレム氏ご本人からの要望もあり、GRACIASは"Harlem Campos"のディストリビューターとして業務提携を結びました。

Harlem Campos氏

彼らが作る良質なパーカッション・メノールを取り扱う者として、少しでもHarlem Camposを近くに感じていただきたく、今夏インタビューをいたしました。ぜひご覧ください。

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【 あのマラカスに出会うまで 】
私アーレム・カンポスは、サンティアゴ・デ・クーバ郊外、アルトソンゴのブルーニィという街で生まれました。幼少のころはブルーニィで、10歳頃からはシエラマエストラという街で過ごしました。

父親はどちらの街でもコーヒー畑をやりながら私を育ててくれました。畑の中の想い出はたくさんあります。

シエラマエストラは、キューバ革命の戦いが起こった場所です。それがきっかけで父は畑を売り、プエルト・ボニャートという街へ再び家を移すことになります。

 

私はプエルト・ボニャートで大人になりました。そこで機械技師として働き、クレーンの免許を取り、操縦とメンテナンスで食べていけるようになりました。20代前半は、国内はハバナ、バラデロ、カヨ・ココ、サンティアゴ・デ・クーバ、海外はアフリカのアンゴラなどのホテル建設によく出かけたものです。カヨココで一番最初にできたホテルの建設に携わったのは、今でも誇りです。

クレーンの仕事を続けたいと当時は思っていました。しかし、ペリオド・エスペシアル(1990年代、ソビエト崩壊の影響を受けたキューバの長期的経済危機)を迎え給料が下がり、仕事がどんどんなくなっていきました。生きていかなくてはいけない、さぁどうしようという感じでした。その頃、綺麗なカヨ・ココの街で「もうここには戻って来れないな」と感じていたのを思い出しますね...。

ちょうどその頃、弟がサンティアゴ・デ・クーバでお土産の工芸品やプラスチックのお皿などの日用品を作っていたので、この街に戻り弟を手伝いながら食いつなぐことにしました。それしかなかったです。落ち着いた頃、弟からお金を借りてハバナに行きました。弟が作った商品を売るため、またハバナで工芸品を買うためです。
その旅で、出会いがあったんです。


ハバナのグィネスという場所を歩いていた時、手作りのマラカス・トラディショナル(革ではなく瓢箪で作った丸いマラカス)に出会いました。それはオルケスタ・イラケレ歌い手のバルデス氏が当時使っていたものと同じもので、美しくてカッコ良かった。私は「これを作ってみたい」と思い、製作者に会い作り方を教えてもらうようお願いしました。返事は「No」でした。理由は簡単です。工芸品やきちんとした楽器の作り方というのは大事な財産なので、作り手の家の中で代々引き継がれるものです。ですが、私は熱意を伝え続けました。

そうすると、製作者はマラカス・トラディショナルの材料である丸い瓢箪を手に取り、私にこう言いました。「マラカスの作り方は、ミゲル・マタモロスの歌※のようにやればできるさ。」これを機に、私はマラカス・トラディショナルの作り方を知ることができました。とても大事な時間でした。私の熱意を買ってくださった製作者にはとても感謝しています。

【 創作を始める 】
マラカスを作ることもそうですが、自分でデザインして絵を描くということが初めてでしたので、よく練習しました。練習の介があって、ハバナの出来事から1年後には、サンティアゴ・デ・クーバのインダストリアル・ロカーレスという会社と契約することができました。製作は順調でした。私が当時作ったマラカスは、日本にも売られていたはずです。


ほどなくして、キューバでドルを持つことが解禁されました。それを機にインダストリアル・ロカーレスとの取引を終了し、ストリートで独自に販売することを始めました。その後、ACAというキューバ国内のアーティスト協会に参加し、製作・販売・研究を

続け、Fondo de Viene CulturaresやArtexがプロモーションに協力してくれるようになりました。でもまぁここまでのお話では、私が作っていた物はお土産品に近いものだったと思います。

【 プロが使う楽器に 】
ある日、マルセル・ロエというフランス人に出会います。彼との出会いが、"Harlem Campos”を、プロが使う楽器の作り手に導きました。彼は当時のサンティアゴ・デ・クーバではとても珍しかった”革で出来たマラカス"を見せてくれたんです。ベネズエラの「パン・コン・ケソ」というメーカーのものです。とにかく音のパワーが印象的でした。1998年ぐらいだったか、彼はパーカッションを勉強しにサンティアゴ・デ・クーバに来ていましたが、私は彼に頼んで革のマラカスの作り方を教えてもらいました。当時サンティアゴ・デ・クーバでは、革のマラカスは誰も作っていなかったと思います。

彼は製作のプロではなかったようですが、手ほどきをしてくれました。すぐにマラカスの型を作って、3片の革を用意し、縫う練習を始めました。縫いの工程が本当に難しかったです。すぐにズレてしまう。これには苦労しました。安定して縫えるまで1年ぐらい掛かりました。革を縫うことに自信を持てた時から、私のプロフェッショナル用の楽器作りが始まりました。

いい物ができたら街に出て、ミュージシャンに使ってもらい意見を聞いたり、時にはプレゼントしたりして研究とプロモーションを継続しています。今、マラカスの中身は3種類のタネと、ある鉱物を少しだけ入れています。この鉱物が、高くてキレの良い音を出します。最近ではニスの塗り方に変化を加え、以前よりマラカスの強度を増すことができました。ギロの瓢箪は、サンティアゴ・デ・クーバでは納得のいく物が採れなくなってしまったので、オルギン州にある山から仕入れて来ます。良い音を保つため、素材選びは慎重に、常に試行錯誤しながらやっています。

【 Harlem Camposを使う人々 】
バカルディ博物館の前でいつも演奏している"ロス・フビラードス・デル・カリベ"は、私の初めてのお客さんです。たまに私は彼らの演奏に参加しますよ。海外で活躍した”ラ・ビエハ・トローバ・サンティアゲーラ”は、私のマラカスとクラーベを初めて海外スペインで使ってくれたバンドです。国内では、コンパイ・セグンド、エリアデス・オチョア、アダルベルト・アルバレス、ロス・バンバン、またソネス・デ・オリエンテなどの地元のバンドミュージシャン、海外では、イギリス、フランス、オランダ、プエルトリコ、日本...たくさんのミュージシャンに使ってもらえて光栄に思っています。

【 今後の夢 】
71歳まで自身の手で楽器作りを続けてこられて、神様に感謝します。息子も学校を卒業し、ハバナでの兵役仕事を終えてからはずっとこの仕事に参加し、もうほぼ任せられるまでになりました。
今後の夢は...さらに続けることですね。お金のためということではなく、自分たちの作った楽器で、多くのミュージシャンとオーディエンスが楽しんでくれるように質の良い楽器を作りたいと思います。これが大きな夢ですね。あと日本にいつか行ってみたいとずっと思っています。

【 メッセージ 】
私たちの作った楽器を使ってくださる日本の方々、ありがとうございます。
これからもHarlem Camposの楽器で楽しんでもらえたらうれしいです。

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※♪Las Maracas de Cuba/Trio Matamoros

この歌はまさに、マラカス・トラディショナルの作り方を歌っている。

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